6か国協議における優先課題

今回は、「6か国協議」の話題。

日本は、拉致問題を議題として取り上げたいと他国に対して働きかけているし、また、日本にとっての最優先の議案は拉致問題であると、日本国内でも報道している。
さて、本当にそうなのだろうか?

6か国協議の主要議題は、「北朝鮮の核廃棄問題」である。6か国は、そのために集まっている。「核廃棄」と「拉致問題」はどちらが最優先事項か?
それは決まっている。「核廃棄」である。他の4か国以上に日本にとって。

「拉致」は、過去から現在に至るまで続いている犯罪である。しかし、未来に新たなことが起こる犯罪ではない。少なくともその確率は低い。だが、「核」は、過去から現在に至るまでは起こっていない(北朝鮮の手で)が、未来に起こる可能性を含み、そして、もし起こったら、数十万人から数百万人の生命が一瞬に失われる可能性がある大虐殺である。
おそらく、拉致は、目に見えやすく想像しやすいことなのだろう。しかし、核は、想像しにくい。唯一の核爆弾による被爆国であり情報は多く発信されているにも関わらず、日本政府はこれまでも積極的に核廃絶のイニシアティブをとってこなかったし、また、国内での核脅威への認識も低い。

パワーバランスが崩れることに関しては世界共通の脅威であるが、北朝鮮の核保有が直接的な脅威となる最大の当事国は日本であり、本来は、この問題は日本が他のどの国よりも積極的にイニシアティブをとるべきである。しかし、日本は、この問題よりも常に拉致問題を優先課題として考えている。いや、日本政府は、これは歴史上常にそうであった(「日本の指導者が抽象概念や道徳意識にとらわれず、むしろ無思想の立場から、条約改正などの仕事にたずさわったということは、近代日本外交の源流であった。(中略)政府が道徳論や感情論を避け、地道に懸案の処理をはかろうとしたため、これにあきたらない民間とは常に対立しており・・・」『日本の外交(入江昭中公新書)』より)ことだが、拉致問題よりも核廃棄が優先課題であることは百も承知なのであろう。ただ、国内の世論が、核廃棄よりも拉致問題を優先とする論調であるため、国民の生命保護を優先とするという建て前上(実は、数十人の生命よりも数十万人の生命を優先するのが政治なのであるが)、拉致問題を優先しているように語らざるを得ず、故に、5か国の歩調を乱してしまうという悪循環に陥っていると考えられる。

そして何より、これは、2か国協議でなく、6か国協議の場なのだ。拉致問題は、もちろん、日本は北朝鮮との2か国間の課題(韓国民の拉致問題もあるので、実は3か国の方がいい問題だが)として継続的かつ早急に解決を図っていかなければいけない問題であるが、6か国の場では、共通の議案に焦点を絞り、団結してことに当たっていかなければならない。

それは、「拉致問題」ではない。
「核廃棄」であり「北朝鮮民主化」である。

そもそも、拉致問題の面で考えても、それを直接的に呼びかけたり一国だけで経済制裁をしても何も解決できないことは、自明のことである。拉致問題に関する最速の解決方法は、国際社会連携での北朝鮮に対する圧力(場合によっては軍事的制圧)であり、その目標とする形は、ハードランディングとしては北朝鮮の政権交替、ソフトランディングとしては北朝鮮の段階的民主化ということになるであろう。
疑問として浮かび上がってくるのは、6か国協議が再開される機運が盛り上がっている時期に、拉致被害者の方々が経済制裁を訴えて座り込みをしたことである。タイミング的に経済制裁ができない時期であることは、これも明らかなことであろう。そんなことをすれば、せっかく再会しようとしている6か国協議が再び凍結されかねない。このようなタイミングでの座り込みを拉致被害者の人に働きかけ、まあ、そこまで言わなくてもあえて静止しようとしなかった関係者、拉致被害者支援の議員連盟の意図は、どこにあるのであろうか。そこには、拉致問題を解決しようという意図はなく、むしろ、拉致問題解決が遅れてでも政府に対して圧力をかけたいという政治的意図でしかないのではないかという疑惑も感じられるのだ。

マスメディアが「日本にとっての最大の懸案である拉致問題」ということを殊更に言えば言うほど、状況を悪化させている。それが、今の現状である。

ところで、拉致問題を最大の関心事としているマスコミ、政治家、そして、当事者である拉致被害者の方々は、1か国による経済制裁や6か国協議での拉致問題討議の後、どういう状況になればこの問題が解決するのかという、明確な形を描けているのであろうか。具体的な方策も戦略もなく、ただ、感情論、そして、安易な付和雷同を行っているにすぎないのではないだろうか。