産みの苦しみ

今、投稿用の漫画のプロットを考えている。なかなか、悪戦苦闘中。ああでもないこうでもないといろんな枝を伸ばしているばかりである。
超えなければいけないところは、わかっている。
私は、よく言われている「商業漫画だと自由に描けないが同人漫画だと自由に描けるので、自分は同人誌で漫画を描くのだ」という言葉は違っていると思っている。商業漫画雑誌であろうが同人誌であろうが、表現の仕方にそんなに極端に縛りの違いがあるわけではない。漫画雑誌の種類が極端に少なかった時代ならさておき、これだけ多様な雑誌が存在している今、表現の仕方にしても、多様なあり方を受容するだけのキャパはある。つまるところ、商業漫画雑誌と同人誌における漫画の違いは、その完成度のみである。
もちろん、商業漫画雑誌にもつまらない漫画は山ほどある。ただ、つまらないにしてもつまらないなりに完成度は高いのである。この完成度というのは、ややこしいニュアンスであるが。
そしてまたもちろん、同人漫画にも完成度の高い漫画はある。そして、それらは商業漫画誌でのあり方を求めれば可能だと思う。しかし、誰もがプロを目指すことはない。歌手であろうが、画家であろうが、誰もがそれをメインに生計を立てる必要はない。それは、人それぞれのあり方である。
私は、人の作品を見ていると、その人がどうすればその作品の完成度をあげれるか、見えてしまう。プロになるのであれば、そのためにどのようなものをどのように書けばいいか、いくらでもアドバイスが浮かぶ。そういう意味では、ものすごく編集者向きなのであろう。しかし、これがこと自分のことになるとなかなかむずかしい。よく予言者で、人の未来は予言できるが自分のことだけはわからないという設定があるが、そのようなものなのかもしれない(笑)。
とにもかくにも、完成度である。少なくとも、できた作品に関して、その予言は適応できる。その作品が、未来にどのような運命になるのかを。その未来が見えてくるまでは、もう少し、産みの苦しみを続けなければいけない。