荒川沖駅での8人殺傷事件・茨城県警の捜査態勢に不備はあったのか?

子供を叱るときに気を付けなければいけないことがある。それは、怒り癖をつけないことである。同じことを何度も叱っていると、それが常態化してしまい、子供の微妙な変化に気が付かなくなり、また、子供の方も叱られることに慣れてしまい、叱られた内容に関して、それを改善しようとする意欲を失わせてしまうのである。

さて、今回の茨城での8人殺傷事件である。事件に際し、茨城県警の捜査態勢にミスがあったことが、あちこちの報道機関により指摘されている。しかし、果たして、今回の事件に関して、今、行われてような警察叩きの仕方でよいのであろうか。
170人体制で犯人金川容疑者の地元である荒川沖駅には8人を張り込ませていたとのこと。配置位置も各所に配置されていてバランスがよい。確かに一人が刺された改札では内と外と二人態勢でなければいけない配備が一人になっているが、これは、内と外で押さえるという意図であり、これも理にかなったものである。
しかし、実際、今回の惨劇は食い止められなかった。それは、犯人が、丸刈りにし、眼鏡をかけ、マスクをかけていたからである。この季節、今一番、マスクが目立たない時期である。
問題視されている私服警察官の配備(制服であったら抑止効果があったという指摘)は、容疑者の確保ということから考えればこれも当然である。容疑者が、無差別に通行人を刺しまくるというのは、想定外のことであり、まずは、逃げ回っている犯人を警戒させないようにして、近くに寄せ、そして確保ということを考えるのは、これも当たり前の話である。
確かに、無線を捜査員が持っていなかったこととか、いくつかの捜査上のミスはあった。しかし、容疑者が、最初から、無差別に人を殺したかったという意志をもって行動していた以上、これを事前に食い止めることは、ほとんど不可能だったと言ってよい。
もし、今回、犯人が事件を起こす前に荒川沖駅で逮捕されていたら、茨城県警の捜査態勢は万全と高く評価されていたかもしれない。結果は最悪な状況になってしまったが、それがどちらに転んでいたかは紙一重だったのではないだろうか。

警察の不祥事は確かにいろいろ指摘されている。それらは、厳しく糾弾され、また、改善されるべきであろう。しかし、今回の事件に関して、同様に、それを完全な操作態勢のミスとして糾弾するような論調が続くと、それは、前述のように、叱られ慣れや意欲低下につながることになるのではなかろうか。