いじめ自殺「予告」の手紙に対して

すっごく腹が立った
いじめによる自殺予告の手紙のことである。
夜中の文部科学省の会見では「私どもとしては、たった一つしかない命を大切にしてほしい。文科省も大人も、いじめの問題解決のためにがんばるから、ぜひ、生きてほしい」と呼びかける。テレビのニュースでは、腫れ物に触るように扱っている。あるニュースでは「あなたの手紙で大人は動き出しましたよ。必ず、何か行動を起こします」とまで言っていた。
バカ言っているんではない。
これは脅迫である。
自分の命をちらつかせて、国を脅迫しようという行為である。
なぜ、言わないのか。
「死にたければ、勝手に死ね」と。
「テロには屈しない」というのと同じように、脅迫には決して屈してはいけない。それが例え、自分の命を担保としたものであってもである。

世界は、あなたを中心に回っているんではない。
もし、そう思っているんだとしたら、それが勘違いで、極論、だから「自殺」ということを考えるとも言える。そう・・・あなたが死んだとしても、この世の中は何も変わらない。そのことを認識した上で、大人は生きているのである。

自殺予告の手紙を書くだけの余裕があるのであれば、何でもできる。余裕があるのは、せっつまっていないからであり、そんなものに国やマスコミが振り回されるだけバカらしいことである。まあ、振り回されるところで、それらが成熟してないということなのであろうが、とにかく、このような愉快犯に対してまともに対応しようとするだけ、状況は悪くなるばかりである。

このような手紙に対して大人が語りかけるべき言葉は、

「生きてほしい」ではない。

「死にたければ死ね」である。

そう呼びかけるところから、命の大切さを語りかけるべきである。
あなたの命をかけがいのないものだと思えるのは、本当の意味では、実は、世界でただ一人あなただけしかいないことを認識させるために。あなたは誰かに生かされているのではなく、生きているのだから。