朝青龍に対する日本相撲協会の処分に関して

「けがで夏巡業への休場届を出しながら故郷モンゴルのチャリティイベントでサッカーをしていた横綱朝青龍に対して、日本相撲協会は、9月の秋場所と11月の九州場所の2場所の出場停止と九州場所千秋楽までの謹慎4カ月間30%の減俸を決めた」

私は、今回の日本相撲協会の対応や処分に関して、概ね、一般的な意見、反応と同じような意見を持っている。
ただ、今回の処分の一項及び報道の仕方に関しては疑問がある。

一つ目は、報道において、「サッカーに興じていた」「サッカーを楽しんでいた」という伝え方をほとんどのメディアにおいて行っているということである。
朝青龍がモンゴルで行ったサッカーは私的な遊びではない。公的なところから依頼を受けて行ったチャリティであり、また、プレイした相手はモンゴルの少年達である。例えば、先日、松井が、米国で向こうの少年達との交流会を行っていたが、あれは、少年達と興じていたということになるのであろうか。それに対して「サッカーをしている様子を見ていると自分でも楽しんでいたのではないか」という意見もあろうが、では、仏頂面でサッカーをした場合、それは、真の意味での少年達とのチャリティ交流会となろうか?公的な場での笑い顔や全力疾走は、本人の意志とは別なところにある。それを「興じていた」「楽しんでいた」と報じるのは、プロのアスリートが、社会において果たす公的な責任を全く理解していない物言いである。もちろん、朝青龍が、日本の相撲という国技における巡業の意味を軽んじて、優先順位を間違えていたということは糾弾されるべきことであろうが、糾弾するために、「興じていた」「楽しんでいた」と報じるのは、大事なことを伝えるために、もう一つの大事なことを軽んじてしまうことになりかねない。

二つ目は、報道において「なぜ、朝青龍は、帰化しないのか。それこそが、日本の大相撲を軽んじていることの表れなのではないか」という意見が多かったことである。
昔、ワールドカップの日本代表として参加するためにラモスが帰化した時に、アルシンドに対しても「帰化しないんですか?」と報道陣が殺到したことがあった。愚劣だと思った。帰化するということは、国籍を移すということである。自国を捨てて他国の国籍を取るようにと詰め寄るということがどんなに残酷なことであるか、彼らはわかっているのであろうか。これは、朝青龍の場合においても同様である。今、イチローや松井は、米国で暖かく迎えられ、たくさんのファンの声援を受けている。もし、彼らに対して、「本当に大リーグでプレイしていきたいのであれば、国籍を取るように」という圧力を米国のメディアや市民から受けたとしたら、日本のファンは何と思うであろうか。相撲と野球は違うという意見はあろうが、日本の国技が相撲であるのと同様、ベースボールは米国の国技のようなものである。相撲は神事でもあり、ベースボールとは違うというのであれば、最初から、「大相撲において、関取(十両以上)になる際には、必ず帰化すること」とでも、最初から明記しておけばいいことである。そもそも、そういう手続き上のこと以前に、安易に帰化を進め、「もし、それが、自国の人間のことであったら。自分であったら」という想像ができないメディアや一般人の認識は、低劣なことであると、私は思う。

三つ目は、今回の相撲協会の処分においての、謹慎処分の項である。「自宅、高砂部屋、病院以外の外出禁止。しかるべき理由なしでのモンゴル帰国禁止」とのことだが、これは、日本国憲法における「身体の自由」に明らかに抵触している。身体の自由を奪う制限を科すことのできるのは、法的にそれを認められた機関のみであり、企業が従業員に科すことはできない。それが例え雇用期間内であるということでも、相撲部屋及び自宅以外の外出禁止は事実上の軟禁状態であり、それは、世界中どこの国においても否定されるべき自由権の侵害事項である。

最初に述べたように、私は、今回の処分は謹慎処分以外に関しては概ね妥当なものだと考える。しかし、それに付随して語られる論調には、日本社会の歪んだ認識を感じざるを得ない。