2007年新語流行語大賞

2007年、ユーキャンの新語流行語大賞が発表された。
大賞は、「ハニカミ王子」と「(宮崎を)どげんかせんといかん」。宮崎出身の私としては、知事に関しての好悪はさておき、宮崎の言葉が選ばれたことは結構うれしい。「ひもじい」とか「よだきい」「のさん」「ほがない」など、明るいネガティブな言葉が多い宮崎は、がんばることが苦手なので、「どげんかせんといかん」状況に陥ったんでしょうが、だから、まあ、そろそろいい加減なんとかしようかってな、ある意味、宮崎弁では珍しいポジティブな言葉なのかもしれない。気合いだけかもしれないけれど。

この流行語大賞、私はある年に「死んだ」と思っている。
死んだのは、1995年。この年は、年初に阪神淡路大震災があり、そのあと地下鉄サリン事件。そして、エヴァンゲリオンが放映された年だったりする。
この年は、オウム真理教一色の年であった。ワイドショーはそのほとんどがオウム真理教の話題で埋め尽くされ、ブロードキャスターのお父さんのためのワイドショー講座でのトップは一年を通してオウム真理教の話題が一位を取り続けた。当然、日常会話の中でも、オウム真理教の話題が飛び交うこととなる。「サティアン」やら「イニシエーション」やら「ポア」やら、オウム真理教の中で使われていた言葉と共に、「ああ言えば上祐」やら、オウム真理教の教祖や幹部の名前も日常会話の中で飛び交った。当然、流行語大賞(この頃はまだ「現代用語の基礎知識」によるとのことだったはずである。今でもその流れは残っているけれど)には、当初、ノミネートされるはずだったのであるが、しかし、どちらからか知らないが、待ったがかかった。ノミネートしなかった理由は覚えている。「被害者の方々の気持ちに配慮して」という理由であった。唖然とした。実際、発表されたその年の流行語大賞に選ばれた言葉は、流行語としては、ほとんど、人々の口に上っていた言葉でなかった。
この年は、ある意味異常な年で、日本という国がオウム真理教という国と戦っていた年であったと言えばわかりやすいか。当然、日常の言葉は、その戦争に関係する言葉一色となる。太平洋戦争中の言葉が、戦争に関係した言葉一色になるのと同様に。
言葉とは、ある一面だけを選んだら歪なものとなる。例えば、北朝鮮で、将軍様を否定する言葉を言葉と認めなかったら、それが歪なものとなるのと同様に。流行語とは、人々が多く、その口の端に上らせた言葉のことである。それを、恣意的にある特定な思想の元に取捨選択したら、それは歪なものとなってしまう。
もちろん、選択とは何かしらの恣意性が必ず入り込むものであるし、また、これは公的な選択ではなく、ある私企業の選択に過ぎない。ミシュランの星と同様である。
だからこそ、それを報道する時には、それ自体をある程度格付けする必要があるのである。それがどれほど客観的に適切的確な選定をしているのか、それか、歪にバイアスがかかったものであるかを。
ユーキャンの毎年恒例の流行語大賞は、1995年に死んだものである。言葉の中に必ず含まれる負の部分を意識的に排除したその流れは今でも続いている。まあ、死んだものなので、続いているもなにもないものであるが。

審査員の一人、やくみつるが「個人的には『KY』が大賞だと思う」と語っていた。大賞を逸した理由として、やはり、流行語大賞は「明るい」言葉が好まれるのだろうと語っていたが、私も、『KY』は、よかったのではないかと思う。少なくとも「ハニカミ王子」よりも、ずっと、今年を象徴する言葉としてふさわしかったであろうに。