上野動物園にパンダ貸与、歓迎されず。動物園や都に抗議、高額レンタル料反発

中国の胡錦濤国家主席が、東京・上野動物園ジャイアントパンダ雌雄2頭の貸与を表明したことについて、東京都に119件の意見が寄せられ、半数以上が受け入れに反対する内容であったとのことである。

これについては、それほどの意見はない。こういうタイミングでのパンダの死に関して、日本から要請というのもよくわかる話だし、それではと、中国から貸与を持ちかけるというのも、至極、当然である。名刺代わりのような話だし、それと、日本が今回の中国主席の訪日に際してどのような交流や交渉を行ったかということとは別な話であろう。
ところで、今回のパンダ貸与に関して気になるコメントがあった。

国家の品格」の著書で知られる藤原正彦お茶の水女子大教授は「日本が恩義を感じる必要はない。中国は外交のうまい国だから、日本は用心しなければならない。リンリンの死んだタイミングが良すぎることが不可解だ」と、コメントしていたとのことである。

「日本が恩義を感じる必要はない」という言葉は、「日本で大切にされていたパンダが亡くなったのでしたら、では、新たなパンダを」とすぐに対応してくれたことに対して放つセリフではない。これはこれで、感謝して受け取るべきものであろう。何より、日本から要請したのであるから。
また、「中国は外交のうまい国だから、日本は用心しなければならない」というのを、このことに関して語るのも粗雑な話である。
そして、何よりひどいのは、「リンリンの死んだタイミングが良すぎることが不可解だ」という言葉である。この言葉は、「リンリンの死には中国が絡んでいるかもしれない」と言っているわけである。もちろん、そのような可能性がないわけではない。このないわけではないという可能性は、胡錦涛主席の訪日や北京オリンピック開催前に中国の立場を悪くするために、日本国内で反乱分子が餃子にわざわざ中国製の農薬を入れる可能性もあるというのと同じぐらいの可能性である。冷静に考えればそのようなことはまずありえないし、それを主軸にして考えたらどうしようもないだろうというのと同じぐらいありえない可能性である。
例えば、もし逆の立場で、日本の首相がこれから訪中するという時に、日本から贈った動物が老衰で亡くなったときに、「・・・の死には日本が絡んでいるかもしれない」というようなニュアンスの声が上がったら、日本人はどう感じるであろうか。そういうこともわからないのであろうか。
これらの言葉から感じられることは、あまりにも「品格がない」言葉であるということである。
この著者の書いた「国家の品格」という本は私も読んだ。非常に品格のない本であった。国家の品格の内容を要約すると以下のようなものである。

「私は、海外に長く滞在していたが、もてなかった。なぜもてなかったかというと、それは、私の母国である日本がいかに他国に比べて品格のある国であるかという情報をきちんと発信してこなかったからである。今の日本は品格を失いつつあるが、自分は武士道をきちんと身につけていて品格がある。それがきちんと伝わっていたら、もてていたはずである」

というような内容であった。この本は、ページ数も少ないそんなに文字数のない本であるが、その中で何度も「自分はもてなかった」という言葉があった。確かにそうだったのであろう。そしてその中でよほど西洋に対するコンプレックスが鬱積していったのであろう。しかし、当たり前のことだが、藤原正彦がもてなかったのは、日本人が自分たちに品格があることを海外に発信してこなかったからではない。本人に魅力がなかっただけのことである。そもそも、このように自分がもてなかったことを他人のせいにするという性格の人間だったからこそ藤原正彦はもてなかったのである。逆であろう。

それにしても、この方が語る品格の中身がひどいものであった。外国との対比で日本に品格があることが語られるのであるが、その外国の文化に対する見識は粗暴で、いろいろな情報を自分にとって都合がいいように並べ立てる。この手の、「日本はすばらしい」と語った本は、概ね品格がないものが多いが、この本はそれらの中でも特に品格がない低劣な本であった。

実際、思うのだが、この国はそもそも、言葉の使い方に関して、この藤原正彦も同様、訓練が積まれていないと思う。そう、昔から品格がないのだ。ある程度、経験を積んだ世代でも、言葉の使い方は非常に稚拙である。

例えば、今日のスポーツニュースだが、楽天の野村監督がいつもの試合後のぼやきでこのようなことを言っていた。ぼやきの内容は、味方の選手(フェルナンデス)のエラーに関してである。
「敵の選手が若干一名うちにいたな」
本人はジョークのつもりなのだろうが、これは笑えない。特に、それが外国人選手だから尚更である。今、大リーグに多くの日本人選手が行っているが、その選手がエラーをしたときに監督がこのようなコメントをしたと聞いたら、どのように思うだろうか。お前は敵のスパイかというようなセリフは絶対言ってはいけない言葉なのである。野村監督は、これまでのぼやきを聞いていても、選手の気持ちを踏みにじるような言葉が数多くあった。この人には、自分が語った言葉を聞いて、相手がどう思うかという感覚が欠落しているのである。もっとも、これまでの言動を聞いていると、そもそも選手を1人の大人として扱っていないというのがよくわかるが、ということは、楽天というのは、皆、お子様の集団なのであろう。よくまあ、あれだけの順位をキープできるものである。ああ、そうか、日本プロ野球って、そもそも、皆、お子様ばかりであった。お子様野球がイヤな人は、じっと我慢しキャリアを積み、本当の大人の野球ができる大リーグに旅立っていくのだから。幼稚園の運動会のような日本のぷろやきゅうですもの。視聴率が一桁に落ち込むのも当たり前ですね。

団塊の世代とかその上の世代とかの言葉を聞いていると、非常に品格のない言葉が多い(だからといって別に下の世代が品格あるわけでもないが)。何を言っていいのか悪いのかという判断がつかないのであろう。そもそも、相手がどういう感情を持つであろうかということを考える感覚が欠落している。

今も昔も日本人には品格がなかった。
品格のない貧しい言葉の日本を変えていくのは、これからである。