井の中の村上隆・・・競売大手サザビーズによると、村上隆氏のフィギュアが2008年5月14日夜、ニューヨークのオークションに掛けられ、約15億9200万円で落札された。

私は、かねてから、日本というのは世界で最も「アート」に関して最先端を行っているところなのではないかと思っています。それは、どのようなアーティストが現在いるかとか、どのようにアーティストが扱われているかとかとは別な部分、アートに関しての本質をつかんでいるという意味で。

「既存の価値観を破壊する」というのがアートで、その定義で現代アートはここまで来たんですが、それって、「悟り」とはなんぞやに近いものですね。仏教の悟りというのは、つまるところ、固定概念の破壊なわけです。何ものにもとらわれないということが、悟りなので。で、これって、まさに「アート」です。目指したところは一緒。
でも、仏教が「自分は悟っているんだ」と思っちゃいけないのと同じで、アートも「アートをやっているんだ」って思っちゃいけないわけなのです。だから、仏教が、特定の儀式や様式から離れ、日々の営みや、万物の中や、人との関わり合いや、自然、所作などいろんなところに悟りを見いだしていったのと同じように、アートも人との関わり合いの仕方へと帰っていく。それが、現代アートの行き着く先の姿だと私は思います。より日常に近い物ほど「悟り」に近いという感覚と同じように、アートも日々の営みや個人の愛着の中に帰っていく。
室町期に生まれた多くの伝統文化や、江戸期に庶民が愛したアートや文学(浮世絵、歌舞伎、俳諧など)との関わりの中で、日本人はもうすでに、現代アートの最先端に数百年前から行き着いていたのだと思います。無印良品の商品が、今、欧米でブームとなっています。あのように統一したコンセプト(それもシンプル)で、日用品を安価に供給したブランドは他にはなかったということですので。これも、同様な意味でのアートでしょう。
アニメや漫画は、それらとはまた別な源流からの文化ですが、これもまた、日本が最先端を行っているアートです。

井の中の蛙大海を知らず」と言います。
アニメや漫画や、それに付随する文化に関しては、大海は日本です。

そして、井戸は日本以外の多くの国々でしょう。その井戸の中からも、多くの人たちが大海の存在を知り、その文化を学ぼうとしたり、知識を得ようとしています。とても、いいことだと思いますし、日本人としてはうれしいことです。

村上隆が、斬新だったのは、大海の中から井戸に飛び込んだことです。
驚きだったでしょう。しかし、それは、井戸の中の評価に過ぎません。また、その作品が、今や、お金持ちが投資する対象という数百年前のサロンの絵画と同じ位置になってしまっているというところで、もうアートでもないと思います。まあ、別にどの道を選ぶかは、第三者がとやかくいう話ではありませんが、むしろ、日本という大海に戻り、WFなんかで他の造形師とがっぷり四つで渡り合った方が、ずっとアートだと思うのです。

あえて井戸に飛び込んだ先駆者の試みは面白いと思いますし、また、本人はそのことを自覚されているようですので、非難はしませんが、そろそろ大海に戻るべき時なのではないでしょうか。