派遣会社の肩を持つわけではないが・・・秋葉原で通り魔殺人事件・7人死亡10人重軽傷


例えば、近未来の日本。
ifの話である。

高校卒業者であろうが大学卒業者であろうが、社会に出て行く者は、90パーセント以上が、まずはどこかの派遣会社に所属しなければならない。いい派遣会社に採用されれば、将来は保証される。派遣会社には細かいランキングがあるため、派遣会社への採用がどのランクの企業へ派遣されるかの分岐点となる。
2010年代に、新卒者の質の低下と教育システムの崩壊が、企業による優良派遣会社の優先的選択を生み、それが「派遣社会日本」を生んだ。
さらに、1000万人という外国人労働者の大量受け入れに際し、日本政府は、派遣会社に対し、「日本語教育」「日本文化に関する理解の教育」の二点を徹底することを条件に、積極的にそれを支援することとし、また、同時に、外資系の派遣会社をも容認することとした。
優れた教育システムによって育てられた外資系派遣会社の派遣社員は、優良企業が率先して求める人材となり、それが、国内派遣会社を刺激し、新規卒業者やフリーターなどの人材の囲い込み競争を生む。
そして、今、空前の派遣会社社会日本を生むこととなったのである。
日本の派遣会社丸抱えのシステムは、「HAKEN」という言葉で英語圏の辞書に載る言葉にまでなるのである。

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なんていうのは、ifの話であるが、今回の秋葉原での無差別殺傷事件の犯人のことで、派遣会社が問題となっている。

以前、NHKで派遣会社のルポルタージュを観たことがある。
企業が必要とするのは、単純労働をこなしてくれる安い賃金の労働力である。外国人労働者は、その絶対数が不足しているため、畢竟、日本人で頭数を揃えなければならない。
最低の単純労働ができるかどうかの簡単なテストだけをして、即、採用。
採用場所と、実際の勤務地はもちろん別である。派遣先が決まると、その場所まで全員移動。そこには、派遣会社が準備した寮のようなアパートがある。出勤に際しては、派遣会社の人が一軒一軒起こしに行く(これは、会社によっていろいろあろうが)。寝間着のまま寝ぼけ眼で起きてくる若者達。一通り揃ったところで、バスに乗せ、工場に。工場での労働は、その時々によって違う。派遣社員を使っているのは、仕事がないときに、給金を払わなくてもいいからであり、全く仕事がない時もある。忙しいときはフル稼働である。仕事が終わり、再びバスで、派遣会社のアパートに。無断欠勤の社員やトラブルを起こした社員がいると、それを何とかするのは、派遣会社の人である。派遣会社の人は、アパートを訪ね、状況を聞き、説得や仲裁、必要があれば辞めさせる(派遣会社の人が、「・・・さん、いますかぁ?」とアパートを訪ね、まるで、郷里の先輩が後輩の面倒を見るように対処していた)。実際、人手は不足しているため、できれば説得して、穏便に済ませたいというのが、派遣会社の意向のようである。このシステムの場合、あくまでも雇っているのは派遣会社であり、給料も企業から派遣会社に払われる。つまり、直接、その労働者を働かせている企業が、労働者に対して社員教育をしたり労働条件に関しての交渉をする必要がなく、実に、便利なシステムなのである。(番組内での一例であり、派遣会社にもいろいろあると思う。また、映像で捉えきれていない裏もあろう)

さて、思った。例えば、高度経済成長期における集団就職なども、これと同じような感覚があったのではないかと。また、昔の口入れ屋や、女衒など。つまり、間に入っている者が、全ての責任を取るシステム。労働者は、間に入っている人の手前、安易に欠勤やトラブルも起こせない。また、間に入っている者は、仲介者として本来労働者本人が取るべき責任を代替わりすることもある。また、雇用主は、直接、労働者と対峙することなく、仲介者に圧力をかければいい。
派遣というシステムは、このようなシステムなのである。

何が言いたいかというと、これは、「ひきこもりシステム」なのではないかと思うのである。住んでいるアパートは、派遣会社のものである。直接労働している企業との契約は、個人が結んでいるものではない。トラブルにおいては、派遣会社が面倒を見てくれる。
いろいろなタイプがあるだろうが、上記のようなシステムの派遣会社の社員として働いている場合、果たして、自分で生きているという実感があるのだろうか。本来、企業への採用も、移動も、問題解決も、解雇時の不服申し立ても個人が行うことである。個人では限界がある場合、労働者は横に連帯していくべきもので、誰かに下駄を預ける話ではない。

今回の事件の犯人に関して、その派遣会社のシステムの細部まではわからないが、採用や派遣の状況を見ると、NHKでドキュメントしていた内容と近いものであったのかもしれない。
さて、そうなると、問題があるのは、「ひきこもりシステム」なのだろうか、それとも、「ひきこもった側」なのであろうか。

派遣を全て「ひきこもり」と見なしているわけではない。しかし、派遣のシステムは、個人が個として自立できない状況を容易に取り込む要素を持っている。元々、日本の企業自体、家族システムを取ってきた。それが崩壊したとき、別な形で代替わりする形で存在するため、派遣会社が現在のような形態になってきているのかもしれない。

私は、家族的なシステムの日本の企業というのは好きではない。しかし、それよりも好きでないのは、その家族的なシステムで良しとする個人や、進んでその中(企業の中ではなく家族的なシステムの中)に入ろうとする個人である。

叩かれるべきは派遣会社なのだろうか。格差社会なのだろうか。格差社会を生み出した小泉改革なのだろうか。

私は、そうは思わないのだが。