2009年3月4日・日本が死んだ日・・・・定額給付金

国がみんなにお金を配るという。
しかし、国民は、自分たちはいいから、もっとそのお金をまとまった形で有意義に使って欲しいと言う。
しかし、そのような国民の声を無視して、そのお金を配るという法律が先日可決された。今日にも、各自治体は、そのお金を配る作業を始める。

2009年3月4日に、国は死んだ。

お金を配るその意図が選挙対策であったことは、皆、知っている。

定額給付金という名の買収がこれから行われる。どういう意図にせよ、元々自分たちが払った金にせよ、お金を受け取ったら、その気持ちはしばらくついてまわる。買収とはそういうものである。お金を受け取った者が、皆、他の候補に投票したら買収は成り立たない。買収が成り立つのは、そのお金を受け取った段階で相手に義理が生じるからで、こと日本社会では、これは大きい。

治安維持法であろうが、破防法であろうが、生類憐れみの法であろうが、法には一部の理がある。悪法でも、そこにはイデオロギーの対立やらその時代の価値観の表れなどがある。しかし、今回の定額給付金にはそれすらもない。これを良しとするのは、単なるバカであり、理念はない。

受け取りが始まる。

総理大臣は、一定以上の収入がありながら受け取る人間を「さもしい」と評したが、私は、収入の大小にかかわらず、受け取る人間は「誇りがない」と思う。少なくとも、反対していた8割の人は受け取るべきではない。テレビで、多くのコメンティター、芸能人が、反対を表しながらも、でも決まってしまったら受け取ると言っていた。どう使うかの話題に移っている。

醜い。

もう日本はおわりだろう。
少なくともあんなに醜い様を公然と見せられたら、子どもたちは、誰も大人を信じなくなるだろう。

「私は反対していたから、決まっても受け取らない」

なぜ、それを言えないのか。言わないのか。
決まったから従う人間は、治安維持法が決まったら非国民をちくり、ユダヤ人を隔離する政策が決まったらユダヤ人を迫害し、戦前戦中と戦後で忠君愛国から民主主義礼賛と思想が百八十度変わるような人間なのだろう。

反対を表していながらも定額給付金を受け取った人は、その時に自分の「誇り」を売り渡したということを自覚していて欲しいと思う。