東京都議会議員選挙・民主の一人勝ち・力うどん

都議会議員選挙に行った。
場所は、近くの小学校。歩いていくと少しめんどくさい距離だがバイクならすぐである。
車はさておき、バイクは自転車と共に利用されているようだ。
この投票所はいつも混んでいない。
投票所というのがそもそもそういうものなのか、それとも、ここがそうなっているだけなのか。
20年も同じ地域で投票していると、他がどうだったかというのは、ちょっと思い出せない。
帰りに、うどん屋に行く。
というか、選挙だけで行くというのも動機付けが弱かったので、うどん屋が餌である。
日曜日なので開いているのかどうか自信がなかったが、しっかり開いていた。
おせじにも便利のいい場所でないところにあるうどん屋であるが、実に美味しい本格手打ちのうどんのため、人はいつも入っている。昼など入れないこともある。
地元の人だけが知る地域の名店であるが、ぜひそのままで雑誌に載らないでいてほしいと思う。
ああ、それとも、食べ物雑誌というのは、別に載っても困らないような程度のお店が推薦されて載るのだろうか。自分だったら、行きつけのお店を推薦したくないよなぁ。そんな自分で自分の首を絞めるようなこと。

さて、選挙。結果はご存じのように民主党の圧勝。
とにかく、多くの人が、誰が党首でもいいから一度は別な党に政権変わって欲しいと思っている、その表れであろう。予想された結果とは言え、はっきり出たものだ。

ところで、選挙に関して、こうすれば投票率が上がるかもということがある。

それは、「マスコミが出口調査を行わず、また、当選の票となるまでは当選確実などを出さない」ということである。もちろん、そんなことは行われないし、また、出口調査などの意味合いもよくわかる。出口調査は、選挙の公正さをチェックする意味と、取材の自由の表れである。
しかし、では、投票率0パーセントの段階で当選確実が出るその選挙の投票行動の意味って何だろう。
私は、選挙はよっぽどのことがない限りほとんど行っているが、しかし、出口調査に出くわしたことがない。つまり、自分が誰に投票しようが、当選確実が出るか否かには全く影響してこなかったということである。そして、それは、多くの人の共通した思いである。
自分の投票行動が結局は大海のような票の流れの中では何も意味をなさないことは、当選確実の精度の高さに表れている。
もちろん、1人1人の具体的な投票行動が集まって大きな波となるのは確かである。
しかし、選挙後の開票速報における当選確実の出方の早さを見ていると、つくづく思うのだ。

「これ見ていて、投票に行く奴はバカだろう」と。

まあ、バカでもいいのだが、しかし、そのような思いをしないでいいようなシステムにはできるのではないかと思う。
少なくとも、マスコミも、

「マスコミでの当選確実の出し方の早さを見ていると、投票に行く人はバカだと思いますよね」

なんて言ってもいいのでは・・・言うはずないわなぁ。