終戦記念日・コミケ・日本の誕生日

ふと思いついたこと。
8月15日は、終戦記念日
その日は、今年の夏コミケの2日目でもあり、毎年、終戦記念日は夏コミケと重なっている。
で、思いついたことというのは、
コミケ会場で、その日の正午に1分間の黙祷の時間を入れるのはどうだろうか」
ということだ。
いや、反対雨あられか。
そもそも、自分でも反対だ。
発案者としてならいいけど、発案されるのはイヤだろうな。というか、疑心暗鬼になるだろう。
どんな意図でその意見が出されたのかに。
自分で出して、自分で却下。
終わり。

そもそも、そういうことを言いだしそうな人を私はほとんど嫌いだし。
でも、自分なら、OKかな。
ひどい・・・

いや、こんなことをふと思ったのは、私は、「終戦」という「敗戦の日」の、その開放感が、自分が味わったわけではないけれど、すごく、好きなのだ。
戦前を「昔はよかった」と語る人いるけど、私は、全否定。
そういう奴らを、私は、物知らぬバカ(相手が90才だろうが100才だろうが、歴史を知らぬ若造である)だと思っているわけで、その日に解放感を感じた人と連帯し、また、同時に、知らない人に、今ある「自由」をものすごく貴重なものだと実感して欲しいと思っている。

終戦記念日は、韓国では解放記念日だけど、日本でも、本当は解放記念日と言ってもいいと思うのだ。あるいは、日本の誕生日だと。

だから、それだけに、ある時代、人々に自由がなく、お国のためということで多くの人が死に追いやられ、また、多くの外国の人を殺しに行っていたんだぞ。そして、それが、1945年の8月15日に終わったんだぞということは、ずっと意識していってもいいと思う。

その日がなかったら、コミケもなかったわけで、その日がなくても続いていた全国高校野球大会で黙祷をするよりも、ずっと祈る意味があるんじゃないかと思ったりする。

でも、まあ、成り立たない話か。

コミケのある時間に、みんなが1分だけ静止して黙祷という映像も、これに関して、私はいい風景だと思うのだが、同時に、そういうのがイヤだという意識もあるなぁ。悶々。