映画「靖国 YASUKUNI」を見に行った/ 渋谷シネ・アミューズにて本日まで


この映画を観に行く人で少なからぬ人が、ある程度、身体的危機の可能性をも念頭に置きながら劇場に赴くだろう。私もそうだった。

以前、「南京1997」という南京大虐殺を描いた中国映画を観に中野の映画館に行ったことがある。その公開されている時、右翼の街宣車が映画館のあるアーケード通りの一つ隣りの通りにずらりと並び、大音量で抗議のシュプレヒコールを繰り返していた。その声は、買い物客で賑わうアーケード通りにも鳴り響き、隣りの人の声さえ聞き取ることができない騒然とした雰囲気となっていた。
私は、右翼は「クソだ」と思った。その手法はヤクザのそれと全く変わらない。まわりに迷惑をかけることにより、攻撃する相手に間接的にプレッシャーをかける。中野で上映をした映画館は、アーケードの他の商店に対してとてもすまないと感じたであろう。そして、もう二度と同様な問題作品は上映しないと思っただろうし、また、そもそもできなくなっていただろう。右翼の、表現の自由への挑戦である街宣車による抗議活動自体も問題だが、その陰湿な手法はもっと問題である。

そういうこともあり、今回の「靖国」ではどのような状況であろうかと思った。
映画館前。写真のように、警察の車が停まっている。警察官が劇場の表に二人配置されている。また、映画館の中では、スクリーンの横にガードマンが。映画館という場としては、ある意味、厳戒態勢というところであろうか。右翼を刺激するというほど過剰な警備ではなく、問題があるかもしれないことを想定した適切な警備だったのではないかと思う。もちろん、このようなことをしなくても安全に上映されるのが一番いいことなのだが、今のように、卑劣な活動をしている右翼が多い状況だと仕方があるまい。

映画は、大入り満員であった。
小さな映画館での単館上映ということと、映画自体の知名度アップとの兼ね合いで、早い時間に行かないと入れないということは聞いていた。平日だったのだが、やはり、満員。私が到着したのは1時間前だったが、初回はすでに売り切れ。初回から30分ずらして上映される二回目の予約は取ることができた。整理券をもらい、横のコーヒーショップで朝食をとる。

上映15分前に劇場に再び。
映画が始まる。
すばらしい映画だった。これまで自分が観たドキュメンタリー作品の中でも、非常に完成度の高い優れた作品だと思った。
監督の李纓(Li Ying)さんが、「靖国ってところはね、一種の劇場空間みたいなところなんですよ」と語っていたとパンフレットにあったが、劇場空間としての靖国の多様な面が見事に切り取られていたと思う。個々のエピソードに関しては、ぜひ本作を観てもらいたいのであえて語らないが、ナレーションやインタビューなど全くなく、ただ、8月15日における靖国神社という場での人々の行動や声、叫びなどを、淡々と追う。インタビューが行われるのは、靖国神社での動に対して静的に挟まれる靖国刀の刀匠である刈谷さんに対してのインタビューのみである(ちなみに、靖国神社では、ある1シーンのみ製作者が声をかけるシーンがある)。

全ての映画は、主観的なものであり、客観的な視点などありえない。もちろん、この映画も作り手の「主観」によって成り立っている。ただ、この映画がドキュメンタリーとして優れているのは、世界を切り取るに当たって、極力、誠実に切り取ろうとしているということである。恣意的に歪めたり、過度に製作者の主観を押しつけようとしていない。製作者が、肯定的に思っている対象に対しても、それを映像によって着飾らせようとはしない。また、否定的に思っている対象に対しても、それを蔑むような描き方をしない。ある種、愛情を持って、それを描く。

それにしても、映画「靖国」は、靖国神社と日本人の大東亜戦争観の関わりに対して、これまで描かれたもっとも優れた作品であろうし、以前、公開された「太陽」は、戦争中の昭和天皇に関して描いたもっとも優れた作品であった。
前者は中国人監督、後者はロシア人監督(アレクサンドル・ソクーロフ)である。第三者の目の方が、より客観的、より深く、対象に迫れるということはあろうが、日本人がこれまで怠ってきたということは、猛省すべきことなのかもしれない。

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ちなみに、映画とは関わりないことで、一つ苦言。
上映されていたのは、渋谷のミニシアター、シネ・アミューズであるが、客席に傾斜がなくスクリーンの高さが低いため、前の人の頭が視界に入り、非常に観にくい。古い映画館というのであれば仕方がないが、新しい映画館であるということを考えると、映画館としての根本的な勘違いだと思う。映画館スタッフの応対もよく、設備も整っている。また、今回のように火中の栗を拾うような企画をあえて取り上げるという姿勢もすばらしいものである。だからこそあえて苦言なのであるが、映画館は映画を最良な状態で観客に届ける責任がある。劇場自体が、観客に一部欠けた映像を見せてしまうことになるというのは、商店が欠品のある商品を売るようなものである。スクリーンの位置を上げるなど、ぜひ、改善をして欲しいと思う。