2016年東京五輪・落選祈願・スポーツ後進国

今日の深夜に2016年のオリンピック開催地が決まる。
決まった後では書きにくかったので、早く記事にしたかったが、なかなかできなかった。
とにかく、ぎりぎりで書いておく。
私は、東京が選ばれることに反対している。
これは、招致の話が出た時からそうだし、今でもそれは変わらない。
理由はいろいろあるが、時期的な問題(そもそもその前後に大きな地震とかないの?これだけ関東という土地で地震の空白時期が続いているという状況だったら、お金をかけるのは、イベントよりも防災だろう。そもそも、作っていた施設がイベント前に倒壊ということも充分あり得るし)もさておき、そもそも、日本のスポーツを巡る状況を鑑みて、東京・・・いや、日本でのオリンピックは、、行われない方がいいと思うのだ。

結論は、さておき、これから数日、その論拠を書いていこうと思う。

さて、それにしても、今夜だそうだ。
もし、東京が選ばれたとしたら、非常に残念なことだと思うのだが、さて、どうなるか。
リオデジャネイロが選ばれるといいな。

エヴァ劇場版破・世界の中心・二次創作としてのリメイク

そして、「劇場版エヴァンゲリヲン・破」を先日、観てきました。
平日の昼間にもかかわらず、劇場の入りは八分入り。公開から三ヶ月以上経っているとは思えない入りです。リピーターもいるでしょうし、また、口コミも多いのかな。自分みたいに。
すごかったです。
まさに「破」である作品とは聞いていましたが、ある意味、オーソドックスに「破」だったと思います。もう一度同じ作品を映画用でリメイクするならこのようにしなければというところに忠実な「破」でしたね。
「序」でも、感じましたが、どこにCGを使うか、どこを書き足すかということに関して、実に周到なものを感じました。
観ている時、時々、不思議な感じがしました。
今、この時、自分は、世界で最高峰の映像と観念を観ているのかもしれない。そこに込められている技術。そこで描かれた世界の緻密さ。
同様に近未来世界を描いたアメリカのどのSF映像作品よりも、そこに描かれた映像のセンス、観念は、上を行っています。
このようなものを作って、特に世界市場というわけではなく国内市場のみに発表している(今は、まあ、海外にも出ていますが)この国のこの文化は、一体なんなのでしょう。

声の大きいバカ・特別国会・虚無

私は、人によって能力差はあることは重々よく知っているし、まあいわゆるバカの人が多いことも知っている。
それはいい。運動神経と同じく、人それぞれである。
ただ、バカで声が大きい人。つまり、バカが自己主張してはいけないところでやたら自己主張するのは、本当のバカで、そういうのは、運動神経のない人が、皆で一緒にやるプレイの時に皆を指揮したりボールに触りたがったりするのと同様、非常に迷惑なわけである。
例えば、国会という場は、まさに、バカが大声を出してはいけない場なのだが、実際は、みんなバカなわけで、それがまあ、非常に困ったことであるのは、ご存じの通りである。
例えば、今日の首相指名選挙がある特別国会の冒頭、動議として首相指名選挙を求める例の大声での議長アピールがあった。
「ぎちょーーーーーーーーーーっ」
と、若手議員が呼びかける。皆が拍手。
いつもは、自民党の若手議員だったのだが、今回は、民主党だった。
同じである。
バカである。
何も変える気がないのだろう。
こんなバカは儀式を続けるのもバカだし、バカな行事から初めて政権交代して政治体制を変えていこうと考えているのもバカだろう。
前の与党はバカの集まりだったが、今回の政権党もバカばかりなのだろう。
あんまり、バカバカと、それもこんな場所で言っているのが、一番バカなわけで、そんなにバカと言うなら、自分がやってみればいいわけで、そのように積極的に動かない自分がバカだと言うことも知っているわけだが、まあ、とりあえず、自分が今の領分でやっていることは、「あそこにいるのはバカばっかりで、バカでもいいと思っているか、バカばっかりであることを気づいていないバカばっかりで、この社会は動いているんだぞ」ということを、メッセージとして伝えるのが、大人の役割だとは思っている。広めているのは、虚無である。
とりあえず、今は、それでいいと思っている。

エヴァ劇場版序・リメイクの難しさ・さて・・・

エヴァ劇場版・破を、今日、やっと見に行こうと思って、予習のために序を見てみた。
序の上映の時は、
「自分にとってのエヴァは、もう、テレビシリーズと2つの映画で終わった」
と思っていたので、見に行かなかった。
評判もいまいちな感じだったので。
で、見てみた。
見終わって後悔した。
しまった、これは、映画館で見ておくべきだったと。
テレビシリーズを分けての映画化とはいえ、よくまあ、うまくまとめたと思う。
何より、テレビ版の絵を手直しする時、違うカット割りにしたくなるところを、よくまあここまでそのままに止めたものだ。構図同じで絵だけ直してあるため、テレビとの違和感が極力減らされている。
視点をシンジに前半絞り込んで混乱させないようにする手法も見事である。
後半のヤシマ作戦の映像のクオリティはすごい。いまさらの話だが、ここまですごいとは思わなかった。
どこをCGにするかの選択も確か。
見事なものである。
難点とは言えないが、リメイクの難しさも感じた。
それは、「説明不足のところを補いたくなる衝動」である。
ディレクターズカットなどには常につきまとうことだが、あとあと手を加えると必ず説明過剰になる。違和感があるというほどではないが、さすがに、ところどころ、作り手の不安ゆえの過剰な説明はあった。しかし、それは、まあ、仕方がない。
全体、非常によい出来であったと思う。

さて、評判の「エヴァ劇場版・破」。とても、楽しみである。

韃靼そば茶・語源辞典・フラッシュ暗算

かたい話ばかりになったので近況を。
夏は、そば茶に凝っていた。
凝っていたと言っても、単に市販のもの(伊藤園韃靼そば茶2リットル)を飲んでいただけだったのだが、これが実に美味しい。
数年前に、家庭教師先で缶入りの韃靼そば茶(これは伊藤園ではない。もっと現地直販という感じの少し高価なもの)をよく出されて、これがとても美味しかった。自分でも通販で購入しようと思っていたのだが、どこのメーカーだかわからない。検索してもわからなかった。それで、あきらめていた。
そして、この伊藤園の商品。
最近出たのかな?あんまりどこにでも置いているわけじゃなさそうだけど、これが、かなりその缶入りの韃靼そば茶に近い。
夏は、こればかりを飲んでいた。
ちなみに、冷やさずにそのまま飲んでいる。
これは、ここ数年、夏は冷たい飲料ばかりをがぶがぶ飲んで、明らかに毎夏、調子を崩してしまっていたので、その反省からである。冷たくないのはどうかと最初は思っていたが、慣れると、こちらの方がいいぐらいである。

ところで、先日、講談社の語源辞典を買った。もちろん、古本。定価4000円近くするので、なかなか原価では買えない。
事典類は好きだ。何でもかんでも買うわけではないが、面白そうな事典で安いと、つい買ってしまう。今まで買ったので一番突拍子もないのは、「硯事典」。硯のいろんな種類や文様についての解説などが書いてある。こんなもの、それこそ、収集家や骨董趣味の人、それか、書家の人しか買わないのだろう。自分が買ったのは、異世界もののストーリーのとっかかりになるのではないかと思ったからである。そのようなわけのわからない事典が、部屋のあちこちに埋もれている。いざというときに使えないのが問題である。

先日、NHKフラッシュ暗算というのの大会の模様を見せていた。優勝者は沖縄の人で、何でも、珠算において、一番、今、受験者が多い(だったか、級を獲得する人が多いだったか)のは、沖縄だそうである。そろばん塾がかなり活発で、その流れでフラッシュ暗算もかなり活発とのこと。本土では・・・というとなんだが、本土では随分すたれてきているような印象のそろばんがここまで盛況というのは、なんか面白い。それこそ、周圏論のようで。

酒井法子・皆の思い・太宰治

さて、酒井法子つながりで。
逮捕後今まで続いているはずだが、酒井法子の歌った曲及び主演したドラマソフトなどが販売中止になっている。コンピレーションアルバムのデータのみ残ったituneストアのダウンロード販売は残っていたが、配信第一位が話題となり、こちらも削除に。
バカな話である。
曲もドラマも、酒井法子個人だけのものではない。多くの人が関わった集合体である。
例えば、同じアルバムで、例えばミキサーの人がもし覚醒剤所持で捕まったら、そのアルバムは発売中止になるのであろうか。もし、ある作品に関わった人の誰かが犯罪を行った(それもあくまでも容疑者)段階でその関わった作品を必ず販売中止、回収するならさておき、なぜ、名前が出る関係者のことだけで、他の人の労力を無にする行為を行うのであろうか。それは、仕事、作品に対する軽視である。
もし、関わったことでその関わった物全てを抹殺するというのであれば、徹底すればいい。例えば、ファンで握手をしたことがある人は、その手を切り落とす。ただ、記憶は残っているだろうから、死んでもらう。いや・・・そもそも、酒井法子はおそらく多くの日本人が知っているだろうから、知っている人間は皆、死んでもらう。いや、海外にもファンが多いなぁ。では、台湾とか、中国とか・・・。世界の人口のどれぐらいが消えるかな。
つまりは、そういうことである。
音楽も、ドラマも、映画も、生み出された段階で、多くの人々の思いの詰まった集合体である。そこから、特定の個人の存在だけを消し去ることは出来ない。
だから、例えどんな凶悪犯罪であろうがそれが犯罪として確定していようが、その者の生み出した過去に関しては、それはそのまま存在し続けるという状況を肯定するべきだと思う。
では、例えば曲に関して、それが売れることによる収益はどうなるのかという疑問は起こるだろう。それに関しては、その収益が容疑者なり被告なり受刑者なりに契約で定められた期間、行かないようにすればいいだけである。「蒼いうさぎ」の収益は、他の関係者に割り振ればいい。
ところで、今年は、太宰治生誕百周年で随分話題となっている。彼は、入水で心中自殺したわけだから、殺人者である。だから、どうだろう。太宰治の本は全部回収して販売中止にするというのは。

夏休み終わり・再開・8月まとめ

ほぼ一ヶ月、お休みしていました。
8月は忙しかったです。
仕事柄、夏休みは忙しくなります。
時間的にそんなに忙しくなるというわけではないのですが、やっぱり一番負担になるのが、午前中からの仕事になるということですね。
こんなことを言うと石を投げられそうですが、普段、午後から夜遅くまでの時間が急に前にずれるので、完全夜型の人間としては、いつもこの時期、バランスが崩れて大変です。
おまけに、夏はイベントの季節なのでこちらも大変。
なんとか、コミケコミティアも無事終了。
最初は、コミケで一冊、コミティアで一冊なんて大望を抱いていたんですが、そちらはやはり無理だったです。その分、結構、個人的には満足いく感じで新刊ができたのは、よかったですが。

選挙の話題とかも書きたかったですねぇ。
その辺は、この9月にいろいろ書いていこうと思っています。

選挙の話題一つだけ。

よく、8月後半、「酒井法子」のニュースに対し、「こんなに大事な時期なのに、なぜこのような事件を引っ張るのだ。それよりも、ちゃんと、選挙の話題をすべきでは」とテレビでよく語られていましたが、私は、ぜんぜんそんな風に思いませんでした。
むしろ、テレビは、皆、感謝していたと思います。
酒井法子の事件があってよかった」と。

だって、一体、何を報道するのでしょう。
新聞などの活字メディアは、報道の自由が守られています。
どんな風にある特定の政党に肩入れしようが叩こうが、それは報道の自由です。
しかし、テレビは、「偏向してはいけない」という縛りがものすごく極端に、この選挙公示後の期間に、覆い尽くしていました。
昔は、ここまで極端な状況ではなかったと思います。
今は、ひどいです。
公器であるテレビは、選挙期間中は、できるだけ「中立」であることを装わなければならない。公示前はどんなに偏向していると言われようが、選挙期間中はだめです。
例え、誰かに失言があっても、取り上げることはできません。
日本各地で行われた党首の応援も取り上げることはほとんどできません。選挙をニュースに出来るのは、党首の人たちに局に揃ってもらった時だけです。特定候補を呼んで語ってもらうこともできません。特定候補の応援になるので。

このような状況にしてしまったテレビもそうですし、また、そのような状態にテレビを追い込んだ社会にも問題があるでしょう。
それでも、もっと、踏み込まなければいけないのですが、チキンのテレビ局に、今、その気概はありません。

インターネットが選挙において全く利用できないという状況なんて、もう、お笑いです。選挙期間中に、政党や候補者が自分のHPを更新できないなんて、もう、最低の国です。
最低の政治状況にある国の選挙が終わりました。

さてさて・・・

おお、書いていると、ばんばん進むなぁ(笑)
これからもよろしくお願いいたします。