駅前商店街よ、つぶれてしまえ

私は、商店街を歩くのが大好きである。特に何かを買うというのではなく、ただ見て歩くだけで楽しい。それはさておき、私はかねてから、「駅前商店街よ、つぶれしてしまえ」と思っていた。郊外型の大規模ショッピングモールができることにより、昨今、駅前商店街の多くが衰退し、シャッター商店街と化してきている現状。私は、その原因の多くは、駅前商店街自身にあると思っていた。

やる気のない陳列。
活気のない店員。
商品知識のない店主。

これで、客が来てくれるとしたら、それは魔法である。

「しかし、昔から、うちの店はそうやってきた」
と、言うのは、間違いである。昔がよかったのではなく、それでなんとかなっていた昔が幸運だっただけである。

例えば、一年ほど前、テレビで、昔からある駅前文具店を紹介していたことがあった。その店主、テレビスタッフから「カドケシ」を見せられても、それが何だかわからない。消しゴムであることさえわからない。そして、これが、今、流行っているということを聞いて、「ああ、それならうちのところも入れないといけませんなぁ」と言っていた。このような店は、すぐにつぶれてしまってほしいと思う。離れ小島で、その一軒だけで影響しているのならば、問題はない。商店街の中では、その店は、害悪でしかない。流行の商品の情報を常に収集していくことはなかなか困難でも、「カドケシ」を見た瞬間に、「ああ、この手があったか」とすぐに思い至ることは必要である。商品に対する愛着がないのならば、彼は、他の商品を売ればいいのである。

秋前商店街は、どこもかしこも、なんの努力もしていない。それでいて、他に大きな店ができるというと、皆で団結して抗議をする。自分たちが全く努力しないでおいて、他のもっと努力している人が来たら、それに対して文句を言う。バカでないかと思う。

今、書店に行くと、どのような店にお客が集まるかを解説している本がたくさん出版されている。こう言ってはなんだが、それらの本を立ち読みするだけでもいい。0円で、そのお店は大きく変貌するであろう。でも、書店に行くという行為さえせず、客の来ない店で、ただじっと、お客を待つ。うさぎが来るのを、来の根っこの横で待っているような愚かな行為である。

さて、というような状況で、駅前商店街とかの商店街の状況に、私は、あきれ、絶望していた。
しかし、今日、NHKの「地域発!どうする日本」という番組で、高松の「まちづくり会社」の話を聞き、かすかに希望が起こった。

この高松市の商店街で行っていたのは、衰退している状況を打開するために、「商店街の地権者が土地の権利を『まちづくり会社』に貸し、新たに、商店主はそのテナントとして入る」というものである。そして、商店街の経営には、「まちづくり会社」が主体的に動く。具体的には、経営コンサルタントが、個々の焦点の陳列や売り方に関して、助言をし、実際、どれだけの売り上げがあったかということも、商店街の店主による話し合いの場でオープンにするというものであった。実際、コンサルタントが、よくお客が入っているファッション雑貨のお店の横の客が入らない電気店に対して、「POPが全く効果的でない。お客を引き寄せるような商品を店頭に置くべきである」というようなことを助言していた。そして、それは、売れ行きに顕著に反映されていた。

お店というのは、自分の城のようなものである。だから、誰も、その城に対してよそ様から口を出されるのはイヤであろう。しかし、今、駅前商店街というのは、個々の城が戦うための城ではなく、ただ、そこにひきこもり惰眠をむさぼるための場にしかなっていない。それで皆がよいと思っているのなら、それもよかろう。しかし、それにより、個々の城は朽ち果て、全ての城が落城しようとしている。

私は、かねてより、個々の商店の営業方法に対し、商店街が積極的に介入することでしか現状は打開できないと思っていた。そのようなことを具体的に行って成功している例を見れたのは、とてもうれしいことであった。
ここに至るまで、高松市商店街は、10年間、1000回以上話し合ったとのことである。皆が、総意のものとして、改革を進められたのは、大きかったであろう。他の商店街も見習って欲しいと、切に思う。